これからの「正義」の話をしよう その6
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○第六章 平等をめぐる議論…ジョン・ロールズ
法と政治についてカントは、「仮説上の同意」という論理を編み出し、その国民全体が同意しうるものなら、その法は公正だと考えた。しかし、どうして仮説上の同意が実際の社会契約と同じ道徳的仕事を果たせるのだろうか。
ジョン・ロールズ (John Rawls)は、独自の理論ながらもこの点について考え抜き、説得力のある主張を展開した。
◆無知のベール (the veil of ignorance)
契約を考える出発点としてロールズはまず、もし人々が共同体を律する原理を結ぼうと話し合ったとしたら、どのような原理が選ばれるかを考えた。メンバーにはそれぞれ利害や立場があるから、中々意見は一致しないだろう。
また、最終的には交渉力のある者が自分に有利な原理を通すかもしれない。言うまでもなく、そのようにして選ばれた社会契約は公正なものとは言えない。となると、個人の利害が対立する限り、真に公正な社会契約は成立しそうにもない。
ここでロールズは、一つの思考実験をする。もし人々が「無知のベール」を被っていたらどんな原理を選ぶだろうか。無知のベールによって、自らの立場や利害、交渉能力が一切わからなかったとしたら、どのような原理が選ばれるだろうか。
これは、カードを配り終えた直後、各人が自分の手札を確認する前に、勝負のルールを話し合って決めるようなものだ。各人の手札は異なっているが、みな自分の手札の確認ができない以上、自分に有利なルールなど提案のしようがない。
そのため、もし全員が無知のベールを被っていたとしたら、実質的には全員が平等の原初状態で選択を行うことになる。全員の条件が同じである以上、人々が同意する原則は公正なものとなるはずだ。
◆公正と言える契約とはどのような内容のものか
では、公正と言える契約とはどのような内容のものか。言い換えれば、無知のベールを被った人々はどのような原理を選ぶのか。
自分の手持ちのカードがわからない状態では、個人の人権が踏みにじられる恐れのある功利主義や、大きな格差を是認するリバタリアニズムが選ばれることはないだろう。
ロールズは、このような状況からは以下の2つの原理が選ばれると考えた。「言論の自由や信教の自由といった基本的自由をすべての人に平等に与える」というものだ。
2つ目の原理は、「社会的・経済的不平等は次の二条件を満たすものでなければならない。『格差原理:それらの不平等がもっとも不遇な立場にある人の利益を最大にすること』『機会均等原理:公正な機会の均等という条件のもとで、すべての人に開かれている職務や地位に付随するものでしかないこと』というものである。
重要なのは格差原理、「社会で最も不遇な人々の利益に資するような社会的・経済的不平等だけを許容する」というものだ。例えば医師の報酬を上げることによって、過疎地にも医師が生まれるならば、そうした賃金格差は肯定される。
ロールズは、手札のわからない人々は、自分自身が極貧に陥るリスクを回避するためにこのような格差原理を採用すると考えた。しかしこれには多くの反論がある。端的に言えば、「本当にそんな原理が選ばれるのか」ということだ。
実際の所、現在はこのようなロールズの考え方は主流ではない。しかしここで、もう一つ重要な考え方を見てみたい。ロールズの持論に過ぎないと言えばそうなのだが、その先の問題を検討するためには、参考にすべき考え方である。
◆平等であるということ
無知のベールのもとでは「社会で最も不遇な人々の利益に資するような社会的・経済的不平等だけを許容する」という格差原理が選ばれるのならば、功利主義や自由主義は選ばれないだろう。
それならば封建制度やカースト制度が選ばれる可能性はなお低い。これらの制度は、生まれが完全に身分を規定してしまうからだ。このような恣意的・偶然的な要素によって格差が生まれることは避けなくてはならない。
「恣意的な要素によって生まれる格差の解消」自体はそう悪くは聞こえないが、この発想を徹底すると、幾分不自然に感じられるような原理に行きつく。
例えば、実力主義は一見平等だが、生まれ持った才能や、十分に実力を育む環境に生まれるか否かは、偶然に左右される。ロールズによれば、このような偶然によって生まれる格差も認めるべきではないとする。
しかし当然これには反論が生まれる。特に重要な反論はこのようなものだ、「いくら才能や家庭環境が偶然に左右されるものだとしても、才能を伸ばすために本人が行った『努力』は、本人のものだ。そのため、努力したものにはそれに見合う報酬が認められるべきである。」
しかしながらロールズに言わせれば、「努力できるかどうか」も才能の一つであり、つまり偶然性に左右される要因である。やはり、そのような要因による格差は認められない。
ロールズの言う平等主義とはかくも徹底したものである。反対者はなおも言うだろう、「努力した者に報酬を期待する権利はないのか?」
この重要な問いに対するロールズの考えこそが、次章以降の問題を検討する上での重要な観点となる。
◆報酬を期待する権利とルール
ここで、今まで曖昧にされてきた部分が一つ整理される。「努力した者に報酬を期待する権利はないのか?」ロールズに言わせれば、この問いはそもそも意味をなさない。
それは何故か、「努力した者に報酬を期待する権利はないのか?」という問いには、「努力した者は報酬を得る権利がある」という前提が存在する。しかしながら、「努力した者は報酬を得る権利がある」かどうかは、ルールが決まって初めて決まることだ。
もし仮に、手元にロイヤルストレートフラッシュになる手札あったとしても、「自分の勝ちだ」と言えるかどうかは、選ばれたルールがポーカーの時だけだ。選ばれたルールがババ抜きならば、「自分の勝ちだ」という判断は誤りである。
つまり、配られた手札が勝利にふさわしいものかどうかは、手札内容そのものではなく「どのような手札に勝利を与えるか」というルールに依存する。
同様に、努力に報酬が与えられるべきかどうかは、努力というものの持つ価値ではなく「努力した者には報酬を」というルールの有無に依存する。
努力に価値がないといっているのではない。ただ、努力のような美徳的価値 (道徳的功績)の有無と、それに報酬が与えられるべきか否かは厳密には別の問題だということだ。
しかしながら、この区別は大きな問題を提起する。道徳的功績の有無と富の配分を別の問題として完全に切り離すことなどできるのだろうか。つまり、我々が直感的に道徳的価値と感じるものを考慮せずに、富の配分のルールを決めることなどできるのだろうか。
この点こそが次章以降の問題点であり、マイケル・サンデル自身の主張へとつながるものなのである。
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これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
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