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「4分33秒」論:「音楽」とは何か

「4分33秒」論 ──「音楽」とは何か (ele-king books)

「4分33秒」論 ──「音楽」とは何か (ele-king books)

「音楽とは何か」、一見ありふれた問いだが、これを具体的に考えていくのは一筋縄ではいかない。この問いを深めていくには、一体どのような思考の方法があるのだろうか。



本書は、「音楽とは何か」ということを実に様々な視点から考え、その道筋を示した講義録である。





1つの例として、ディック・ヒギンズによる「オーヴァーピース」と「アンダーピース」という概念を取り上げてみよう。



彼によれば、あらゆる芸術作品は「オーヴァーピース」と「アンダーピース」からなるという。「オーヴァーピース」とは「リアリゼーションの際の差異にも関わらず存在する」ものであり、「アンダーピース」とは「リアリゼーションの個別性に属すすべてのもの」を指す。



例えばベートーヴェンの「運命」ならば、この曲には、誰が何処でどのように演奏するか・再生するかに関係のない、「オーヴァーピース」としての、いわばイデアの「運命」がある訳だが、実際に演奏したり、再生したりする際には、音響やノイズなど様々な具体的事象が生起する。つまり我々が体験できるのは純粋な(オーヴァーピースのみの)「運命」をではなく、あくまでも聴取の際に生成されるアンダーピースの伴う「運命」である。



こんなことは、言われてみれば当たり前のことだ。しかし、この当たり前をあえて前景化することが、「音楽とは何か」という問いを考える一つの枠組みとなる。



現代作曲家のラ・モンテ・ヤングの作品に「デヴィッド・チュードアのためのピアノ作品第1番」というものがある。この曲では演奏者に、楽譜の代わりに以下のような指示が与えられる。


舞台上に、ピアノが食べたり飲んだりするための、一束の藁とバケツ一杯の水をもってきなさい。演奏者は、ピアノに食べさせるか、自分で食べるかに任せておく。前者の場合、この作品はピアノに食べさせ終わった時に終わる。後者の場合、ピアノが食べるか、食べないと決めたときに終わる。

言うまでもなく、こんなことは実行不可である。いや、試みてもいいが、できる訳がないし、ヤング自身も実行できるとは思っていないだろう。



従ってこの作品は、具体的な演奏のなされない作品、「アンダーピース」の無い音楽、純粋に「オーヴァーピース」だけで成立する作品だということだ。



こんなことはただの言葉遊びだと感じる人もいるかもしれない。しかし、音楽を「オーヴァーピース」と「アンダーピース」という言葉で切り取ってみることで、音楽を音楽たらしめている条件は何なのかを考える手がかりが得られ、そこからこのように新たな音楽の形を考えることまでもが可能になる。





この曲名に使用されたピアニスト、デヴィッド・チュードアが初演をつとめた作品こそが、かの有名なジョン・ケージ作『4分33秒』である。



4分33秒』もまた奇妙な音楽である。初演で何が起きたかといえば、入場したデヴィッド・チュードアがピアノの前に立ち、何もしない、そして4分33秒の後、チュードアは舞台を退場する。



一体この『4分33秒』とは何か。『4分33秒』を音楽たらしめているのは何なのか。先に挙げた「オーヴァーピース/アンダーピース」や、「Hear/Listen」「音/音楽」「意図の有/無」「枠/中身」など、様々なキーワードを媒介にしながら、「音楽とは何か」という問いの深みへと降りてゆく。



本書は、著者が主催していた私塾の講義全5回をまとめたものである。講義録なだけあって、思考の道筋が丁寧に語られており、著者の音楽への造詣の深さを味わいつつ、非常に面白く読むことができる。



話のネタとして語られることの多い『4分33秒』だが、この作品がこんなにも、「音楽とは何か」を考える出発点となりうるとは、作品の深さを思い知らされる一冊であった。

「4分33秒」論 ──「音楽」とは何か (ele-king books)

「4分33秒」論 ──「音楽」とは何か (ele-king books)