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消えゆく「限界大学」:私立大学定員割れの構造

消えゆく「限界大学」:私立大学定員割れの構造

消えゆく「限界大学」:私立大学定員割れの構造

大学の定員割れは、大学業界における深刻な問題となっている。1992年には200万人を超えた18歳人口は年々減少し、いわゆる「2018年問題」と呼ばれる2018年度以降、その減少はさらに加速する。



1989年にはわずか14校であった定員割れ大学は、1999年以降一気に増加し、現在では私立大学の実に半分近くが定員割れとなっている。



18歳人口が減少している以上、定員割れ状態からの脱却は非常に困難である。日本私立大学振興共済事業団が毎年報告している入学志願動向によれば、2014年度に定員割れした263校の内、翌年度に定員充足率を回復したのはわずか13.3%の35校であった。



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では、定員割れに陥る大学とはどのような大学なのであろうか、著者は、大きく3つの類型を挙げている。



1つは、それなりの歴史はあるものの、改革を怠り社会から取り残されつつある大学である。もう1つは、政府の政策に応じて開設したものの、一時期の歯学部のように供給過剰に陥って定員割れが発生している大学である。



そして、数の上で圧倒的に多いのが短大からの改組転換によって生まれた歴史の浅い大学である。実は、先に挙げた2014年度に定員割れとなった263大学の内、実に73%が短大を設置母体とする大学なのである。



しかしながら、こうした短大を設置母体とする大学は、開設自体が比較的最近のものが多い。1986年から2015年までに新設された264大学の内、短大を設置母体とした大学は、全体の7割強である190校にも上る。



要するに、1980年代から現在にかけて、短大の多くが大学設置に乗り出しており、また同時にそうした大学の多くが定員割れを起こしているということである。この、短大を母体とした大学の定員割れ問題がこそが、筆者の問題意識であり、本書の中心的テーマである。



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まず、なぜそもそも1980年代以降に短大が増加したのか。この時期は第二次ベビーブームの世代が18歳に達し始め、大学受験人口が大幅に上昇した。特に、1986年から1992年までの7年間はゴールデンセブンと呼ばれ、空前絶後の受験ブームであった。



こうした問題に対応するため、文部省は1984年に「昭和六十一年度以降の高等教育の計画的整備について」の中で、本来大学が学則上定める入学定員を大幅に上回る入学定員、臨時定員の設定を認めた。



短大も受験者を多く確保し、1985年の約40万人から1992年ころには2倍以上の約82万人となった。大学・短大の数はそれでも足りず、1989年から1993年にかけて毎年約40万人の不合格者が出たという。



こうした状況であるから、全国の大学・短期大学は多くの受験料収入、授業料収入で潤うことになる。3万円の受験料でも千人が受験すれば3千万円である。小規模の大学にとっては、それなりの金額であろう。



しかし、このような好景気は長くは続かず、受験ブームの沈静化は短大の経営を直撃した。バブル崩壊による求人倍率の減少で、高卒者は短大でなく4年制大学を目指すようになった。



並行して、18歳人口自体の減少によって4年制大学への入学が容易になったことで、短大志願者は瞬く間に減少し、90年代後半にはほぼ大学全入の状況となり、後もさらに減少の一途を辿る。



このような危機的状況の中、抜本的な経営改革に迫られた短大の多くが選択したのが、4年制大学であった。ゴールデンセブンでの貯蓄から、大きな手を打つ体力があったことに加え、4年制大学を持つことが学校法人にとって一つのステータスとなることもこうした対応を後押しした。


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しかしながら、それによってV字回復が起きるほど甘くはない。学部改組は一時的な志願者増を生むが、その水準を維持することは非常に難しい。



また、4年制大学を経営する上で、短大を母体とするが故の不利な要因も多くある。一つには、元々の施設設備が、大学の教育水準を満たすのに十分でなかったり、文学や家政・栄養など、最近では敬遠されがちな学問分野が基幹学部になっていたりと、学生にとって魅力的な教育を提供しにくいという点が挙げられる。



加えて、短大と大学とでは、求められる経営姿勢や教育・研究への取り組みは大きく異なるが、こうした部分のシフトの難しさも要因となる。通常短大が4年制大学に移行した場合、教員もそのまま移行することになるが、教育に重点が置かれがちな短大の教員組織が、本格的な研究を行う組織へと移行することは容易ではない。運営について言えば、多くの短大における旧態依然とした、そして多くは短大時代からの親族経営の体制が、実質的な改革を難しくする。



要するに、形式上大学を設置はしたものの、大学としての実を伴わせことは容易ではなく、それらが社会的需要の低下に伴って淘汰されつつあるということである。



本書の著者は、公立学校の教員を経て国立教育研究所(現国立教育政策研究所)の研究協力者、のちに私立大学の教職課程教員を務めているという。大学名が記されていないのでよくわからないが、恐らくこうした大学に引き抜かれたのではないかと、勝手に推察する(特に教職課程教員であれば尚更ありそうなことである)。
※と思いもう少し調べてみたら、やはりそうした類の大学であった。



上記の様々な経営事情は妙なリアルさで記述されており、それらの記述が特段何かの引用などでない分、多分に個人的な苦労に基づいて書かれている印象を持つ。もちろん、私自身の周りでも、実際これに類するような、およそ大学とは呼べないような実態の大学の存在も多く見聞きすることから、特段偏った視点とは言えないと思う。



とはいえ別に、本書はそうした、短大についての恨みによって書かれた本なわけではない、そもそもの短大の制度的歴史や、武蔵野大学名古屋外国語大学などの成功例等も紹介されているし、大部分は各種の調査統計等客観的事実の裏付けをもとに記述されている。



本書を読んでみれば、こうした大学がある意味苦境に立たされるべくして立たされていることは明白であるが、人口減少が続き、しかも学問自体が軽視される風潮にある現在、それ以外の大学も全く安穏とはしていられない。



現在は全ての、生き残りをかけて様々な取り組みを行っているのが現状である。50年、100年後も安泰とは決して言えない大学に身を置く私自身も、気の引き締まる思いで読んだ一冊であった。

消えゆく「限界大学」:私立大学定員割れの構造

消えゆく「限界大学」:私立大学定員割れの構造