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大聖堂・製鉄・水車:中世ヨーロッパのテクノロジー

大聖堂・製鉄・水車―中世ヨーロッパのテクノロジー (講談社学術文庫)

大聖堂・製鉄・水車―中世ヨーロッパのテクノロジー (講談社学術文庫)

西暦480年、輝かしき技術を誇った西ローマ帝国が崩壊し、ルネサンスが興るまでの約1000年の間、ヨーロッパは中世暗黒時代と呼ばれる時代を迎える。



キリスト教会による地動説の弾圧に象徴されるように、この時代は知性の発展が停滞した時代であると思われがちである。『ローマ帝国衰亡史』を記したエドワード・ギボンは、中世を「野蛮と宗教の勝利」の時代として描いている。



そして、このような沈滞の時代が終わりを告げるには、ルネサンスとその後の産業革命まで待たなければならなかった…というのが、広く信じられてきた考えである。



しかしながら、産業革命とその前夜との間には、技術的・思想的に大きな断絶があった訳ではないというのが本書の主張である。ストラットやアークライトの水力紡績工場は、決して突如として現れたわけではない。そこに至る着実なテクノロジーの進歩が、中世にはあったのだ。


そもそも(しばしば言われることではあるが)、暗黒時代という言葉自体、「知的活動の停滞した暗い時代」ではなく「資料が少なく、何があったかよくわからない時代」を意味する。



この暗黒時代と呼ばれた中世ヨーロッパにおいて、これまで余り多く語られることの無かった技術革新の歴史こそが、本書の主題である。





そもそもローマは、工学技術に優れ、技術を他から借り入れ洗練させる才には長けていたものの、独自開発の技術は意外に少ない。



ローマ軍の得意分野である土木建築についても、エジプトの測量技術やギリシア人が広めた度量衡などがもとになっていたし、投石器はギリシャ由来、都市の床暖房はインドに起源を持つ。



また特に、動力についてローマは顕著な遅れを取っていた。馬に用いるハーネスは非常に効率が悪く、当時の中国で使用されていたものよりも、はるかに非効率的なものであった。



水車の活用についても同様である。4世紀のフランスで使用された8機の上射式水車は、毎時3トンの穀物を挽くほどの能力を持っていたにもかかわらず、こうした使用例は非常にわずかであったという。



一方中世ヨーロッパでは、水車を中心とした動力の活用など、様々な技術発展が見られた。



毛織物や金属加工などの手工芸技術、壮麗なゴシック建築を築いた土木建築、信用取引複式簿記などの商業システム、いずれ大航海時代へとつながる水運・航海技術などが着実に発展し、イスラム圏よりもたらされてたアラビア数字や古代ギリシア学術書が、自然科学に対する学問的態度の形成につながった。



こうした成果は、14世紀の黒死病や飢饉によっても潰えることなくルネサンスへと継承されていく。レオナルド・ダ・ヴィンチは偉大な発明家であったが、彼のアイディアすら、多くの先駆者の土台の上に成り立っているものである。



コロンブスの業績は大きかったが、ヨーロッパ人はいずれ時を経ずしてアメリカを発見していた。十分な動機と幾世紀にもわたる進化を遂げた手段が、すでに有り余るほど揃っていたのである。





最後に、個人的に面白かったのが、著者も最後の最後で余談のように触れている「香辛料貿易」である。



ヨーロッパの人々が香辛料を求めたのは、食品の保存・調味のためだとよく言われるが、当時のヨーロッパには、既に多くの食品保存技術が確立されていたし、香辛料を購入できるほど裕福な人々は、保存に頼るまでもなく、四季折々の豊かな食材を味わっていた。



ではなぜ香辛料貿易が盛んだったかと言えば、1つは単純に運搬のサイズに比べて単価が高かったために扱いやすい商材だったということであり、もう一つは−これが重要なのだが−「香辛料」という言葉の用法である。



当時の「香辛料」という言葉は、今で言う「香辛料」だけでなく様々な薬剤や香料や、糊、象牙、インディゴ等、アジア産の多種多様な商品を含む言葉であった。あるフィレンツェ商人の記録の中には、288種の香辛料が列挙されている。



要するに、「香辛料貿易」とは胡椒だけの貿易ではなかったわけで、”香辛料”への情熱が人々を海へ向かわせたというのは、いささか誤解のある説明だということである。

大聖堂・製鉄・水車―中世ヨーロッパのテクノロジー (講談社学術文庫)

大聖堂・製鉄・水車―中世ヨーロッパのテクノロジー (講談社学術文庫)