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これからの「正義」の話をしよう 要約

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〇これからの「正義」の話をしよう 全体要約
◆導入
何が正義かという議論に結論が出ない一つの理由は、人によって正義に求めるものが異なるからである。ある社会が公平・公正かどうかを、すなわち正義を問う場合、幸福、自由、美徳 (道徳)の3つのアプローチが存在する (第一章)



功利主義
幸福に重きを置くのは、ジェレミーベンサム (Jeremy Bentham)の提唱した功利主義である。功利主義は、あらゆる良い要素を「効用」という単一の指標に置き換え、社会の中でそれが最大化されることを目指すものである。



これは大変明快な発想だが、実際はあらゆる要素を効用に置き換えることなど不可能である。また、社会の効用を継続的に高めるためならば、個人を犠牲にしかねないという危険性を有している (第二章)



リバタリアニズム
では、自由はどうだろうか。人間を「束縛されない自由な自己」とみなし、他者に迷惑をかけない限り、あらゆる選択は本人の自由を尊重すべきであるという立場はリバタリアニズムと呼ばれる (第三章)



しかし、迷惑をかけない限りあらゆる自由を認めると、市場の原理に基づいて、町をあげて代理出産を産業化するなど、直感的には容認しがたい行為まで認めることになる (第四章)



◆正義と自由
ジョン・ロールズ (John Rawls)など、自由を尊重する立場の特徴は、何が善・幸福かという「道徳の原理」と何が公平公正かという「正義の原理」を独立させて考えることだ (第六章)



我々は多元的な社会の中に生きており、何が道徳的に正しいかということを決定することはできない。むしろ、人はそれぞれ自分の善を自由に選ぶことができるべきである。そして、そのような自由な選択を実現する公平な制度こそが正義だということである。



代理出産を産業として認めるかどうかは、倫理や道徳に関する領域である。こうした論争には結論が出ないのだから、特定の考えを押し付けるのでなく、各人が自由に自分にとっての道徳を選ぶことができなくてはならない。



◆正義と道徳
しかしサンデルは、こうした自由に基づいて正義を論じる立場に反対の意を示す。我々は決して、自主的に同意した義務しか負わない訳ではない。我々はコミュニティの中を生きている。人間は「自由で負荷なき自己」などではなく、コミュニティの中で生じる「連帯の義務」を同時に負っているのである。



そのため、何が正義かを考える時は、コミュニティにおける善・道徳を考慮しない訳にはいかない。我々は共通のコミュニティの中を生きているのだから、コミュニティの中で何が善・幸福であるかについて、考えなくてはならない (第九章)



◆これからの「正義」の話をしよう
民主党ケネディ以降、宗教的信念を政治に持ち込まないという立場をとってきた。これは、行政府が国民に道徳を押し付けることのない中立的な立場である。



しかし実際は、公共の領域において、個人的な道徳的・宗教的信条を持ち込まないことは不可能である。このような表面的な中立性からは真の相互尊重は生まれない。



原理主義的に押し付けることなく、また宗教間の争いに移行することなく、コミュニティにおける共通善を政治に取り入れていくには、市民の一人一人が考え、我々の善い生き方というものについて、今こそしっかりと向き合うべきである。



つまりサンデルは、全ての市民に向けてまさに、「これからの正義の話をしよう」と呼びかけているのである (第十章)




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これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

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これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

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