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日本人のしつけは衰退したか:「教育する家族」のゆくえ

日本人のしつけは衰退したか (講談社現代新書)

日本人のしつけは衰退したか (講談社現代新書)

古き良き日本を美化し、現在の日本の現状を嘆くような言説は最近しばしばみられるものである。しかし、そうして美化された過去の日本のイメージは必ずしも事実とは限らない。



本書は1997年に神戸で起きた酒鬼薔薇事件の2年後に出版された。最近は以前ほどではないものの、重大少年犯罪等が起きるたび、その両親が批判され、「最近は家庭の教育力が低下した」という言説が飛ぶ。本書は、「家庭の教育力」をテーマに、近代日本における地域・学校・家庭のしつけの在り方について一望した本だ。



明治大正期の閉鎖的な農村社会においては、学力の習得よりも、村の中での独自のルールや風習への同化が何より必要だった。そのため、学校での勉強は軽視されていたし、しつけや人間形成の機能を担ったのは、親よりも、同年代の集団を含めた地域社会全体である。柳田國男が1937年の講演で述べたように、親は教育の担い手としては「極度に無力」であった。



「地域の中で自然に育つ」ことが実践されていたわけだが、それは決して牧歌的なユートピアではない。自然に育つということは、教える側は意識的な配慮を伴わない。従って、望ましくないような関わりもたくさんあったはずだ。多くの子どもは労働者として酷使されていたし、身分や性別、出生順位などによる様々な差別や抑圧も多く存在した。



家庭での教育が広く見られるようになったのは、大正期に入り、専門職や官吏・俸給生活者など、富裕で教養のある新中間層が出現した都市部である。こうした層は学力を身につけ立身出世していくことを重視し、子どもを意図的・組織的な教育の対象とみなした。「子どもを教育する意志」の高まりである。この時期、彼らのために、家庭での育児・しつけのための本や、受験案内本などが大量に出現した。



しかしこの時期は早くも、学力向上が煽られる一方で、高まる受験の過熱に対する批判も見られるようになった。昭和初期にはすでに「要領だけよくて我慢強さのない、自分の殻に閉じこもりがちの子ども」が問題視されるようになる。まるで戦後の受験戦争のような状況である。



つまり家庭教育の在り方は戦前からすでに多様であった。地方の山村では、そもそも「家庭の教育力」という発想はほとんどなかったし、代わりに地域の中で実践されていたしつけも、手放しで望ましいものと言えるようなものではなかった。都市部では家庭がしつけを開始していたが、現代に見られるような弊害は既に存在した。



こうした都市と地方との教育の在り方が大きく変化したのは、戦後高度経済成長に入ってからである。敗戦後、農村の近代化が訴えられ、高度経済成長期に入ると、地方から都市部への人口流出が続き、所得格差による離農の増加が深刻化した。それによって、かつてあったようなコミュニティは解体し、村社会への同化よりも、進学するかどうかが人生を決める鍵になる。



そのような中、将来を具体的に保障してくれる装置として、学校への期待はかつてないほどに高まった。学校は、身を立てるための学習だけでなく、村のローカルルールが通じない都市部での礼儀作法・言葉遣いの訓練まで行ってくれるからだ。いわば「学校の黄金期」である。



同時にこの時期は、日本中が学力競争に巻き込まれ、親がしつけの担い手としての責任を自覚させられる時期でもあった。「教育ママ」という言葉は、1960年代後半に流行した。そして1970年代に入ると、学校と家庭の力関係は逆転し、家庭がしつけの最終的な担い手として力を持つようになる。



未曽有の経済成長によって地域・家庭の文化的水準が高まり、人々の欲求がある程度満たされると、学校のありがたみが減じ、むしろ体罰や保守的な慣行などへの批判が高まった。明治から戦後の高度成長期までの学校は、「遅れた」家庭や地域を文化的に啓蒙し、進歩と啓蒙としての装置であったが、高度経済成長を経て、社会的秩序の維持・安定のための保守的装置となってしまったのだ。



しかしその結果生じたのは、子どもに対して親が全面的に責任を持つ、そして責任を一身に引き受けざるを得なくなるという状況だ。このような状況は、親に完璧であることが求められ、結果的にかえって子育てへの不安や焦りを生み出した。



結局の所、いつの時代もしつけの在り方は多様であり、日本全体で望ましい家庭教育がなされたという事実など存在しない。現代の「家庭の教育力」に眼を向けさせるような風潮が、かえって不安感を煽っている。大事なのは完璧を求めすぎず多様性を受けいれ、個々の現状に即した対応を考えることだ。



本書は、非常に多くの資料や調査結果をもとに、時代や地域、階層による家庭教育の様子を追って行っている。近代以降の日本のしつけの変遷を理解する上で非常に多くの示唆をもたらしてくれるであろう。

日本人のしつけは衰退したか (講談社現代新書)

日本人のしつけは衰退したか (講談社現代新書)