進化論論争とスコープス裁判
1925年3月、テネシー州州議会で反進化論法が制定された。その直後、デイトン高校の生物教師であったジョン・スコープスが、自ら進化論を教えていることを認め、裁判で成否が争われることになった。
当時進化論に反対していたのは「ファンダメンタリスト」と呼ばれる人々である。彼らは、聖書の教えに忠実に従い、キリストの再臨と裁きに備えて悔い改めようとする、要するに聖書の教えに素朴に従う人々であった。
ファンダメンタリストたちが元々攻撃していたのは、聖書を神の言葉ではなく、解釈すべき古代文献の一つとみなす文献批評学であった。
進化論に代表される近代の諸科学の発展によって、20世紀初頭のアメリカは「高度な教育を受けた者だけが、ものごとの真実を理解することができる」と思われる時代に入りつつあった。文献批評学も同様に、「学者だけが聖書を解釈できると考えることによって、人々から神の言葉を奪い取っている」というのである。
つまり、近代思想によって武装したインテリ・エリートが世界を支配し、自分たちが社会の主流から置き去りにされつつあるという危機感が、ファンダメンタリストの中にはあったのである。
そんな彼らの矛先が文献批評学から進化論に向いたきっかけは、第一次世界大戦である。
ダーウィン進化論の誤った理解の一つにハーバード・スペンサーらによる社会進化思想がある。これは自然界での「適者生存」や「自然淘汰」を根拠に、人間社会での弱肉強食的な競争状態を、社会の進化の過程として肯定するものである。
ファンダメンタリストには、社会進化思想がドイツのナショナリズムやアーリア民族至上主義を正当化し、第一次世界大戦を引き起こしたという理解があったのである。彼らにとって進化論に代表される近代思想は、文明を進歩させるのではなく、文明を危うくさせているように見えたことだろう。
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スコープス裁判において検事を務めたのは、民主党大統領候補に3度も指名されたことのあるウィリアム・ジェニングス・ブライアン、一方スコープスの弁護士を務めたのは、当時全米で最も有名な弁護士の一人であったクラレンス・ダローであった。
2人の大物が登場する裁判ということで、小さな山間の町に過ぎないデイトンには、全国から100人以上の新聞記者やラジオの関係者が集まってきた。
ファンダメンタリストの代表となったブライアン検事だが、彼自身は、多くのファンダメンタリストのような排他主義ではなく、開かれた態度をそなえた人物であった。
そんな彼が法廷で問おうとしたのは、単なる科学と宗教の対立ではなく、アメリカにとっての価値や文明理解の在り方であり、すなわち社会進化思想の道徳的是非であった。
社会進化思想は、当時アメリカで問題となっていた独占的大企業の自己正当化や、第一次世界大戦を引き起こしたアーリア民族至上主義など、結果的に強者の立場を守る思想であった。ブライアン検事は、裁判を通してそのような社会の在り方そのものの是非を問いかけようとしたのである。
しかし残念ながら、裁判は彼の思うようには進まなかった。ダロー弁護士は、聖書の知識の矛盾や、ファンダメンタリストのアナクロニズムなどを付き、ブライアン検事を容赦なく攻撃したのである。
裁判は8日間に及び、事実として州法に反しているスコープスは結局有罪となり、ブライアン検事側の勝利が決まった。しかし、全米に連日報道されたダロー弁護士の巧みな尋問と返答に窮するブライアン検事のやりとりによって、この裁判の真の勝者がどちらなのかが、多くの人の目に焼き付いてしまった。
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結果的に、ダロー弁護士は更なる名声を得、一方のブライアン検事は、当初問題にしたかったアメリカ社会の危機については何も発言することができなかった。
裁判から3日後、請われるままに各地へ演説に赴き、3日間で炎天下の中を1000キロ以上も旅してまわったブライアン検事は、家族との昼食を済ませ、疲れを取るために昼寝をとり、そのまま目を覚ますことはなかった。
ダロー弁護士が控訴を放棄する代わりに、ブライアン検事が裁判で演説することを放棄した「最終陳述」の原稿には以下のような一説がある。
「肉体と精神の弱者は消え去ってもよいという考えは、なんとも非人間的な教えではないか」
「インテリたちは善と悪の問題を問題にしようとしない」
現代でもアメリカの教育の場で進化論論争は行われているが、当初のファンダメンタリストたちによる進化論への反発は、エリートの押し付けに反発し、自分たち草の根の人々が信じるアメリカの価値を守ろうとするという側面を持つ。
これは要するにポピュリズムであり、反知性主義的態度とも言える。1920年代のアメリカキリスト教界は、こうしたファンダメンタリストとモダニズムの対立の時代であった。
ファンダメンタリストとは近代思想に最後まで抵抗し、旧来の伝統的な価値観を保持しようとした人々だったのである。
参考文献:森孝一『宗教からよむ「アメリカ」(pp.178-200)』
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