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これからの「正義」の話をしよう その7.5

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○勝手な補足 第八章に入る前に
次の第八章において、マイケル・サンデル自身の主張を導き出すための材料がほぼ出そろうことになる。サンデル自身の主張の前提となる土台は「アリストテレスvsカント、ロールズ」という構図だ。



そのため、第八章におけるアリストテレスの位置づけを知るためには、これまで説明してきたカントやロールズの立場について改めて明確にする必要がある。



そこで、第八章に入る前に、カントとロールズの共通部分についてここで勝手に解説する。



カントとロールズは正義の原理と、道徳の原理とを独立させて考えた。そもそも正義と道徳はどう違うのか。日本語だとニュアンスの違いは難しいが、Oxford Advanced Learner's Dictionaryによれば、

○正義…juscice
人々への公正な扱い…the fair treatment of people

○道徳…morality
正不正や善悪に関する原理…principles concerning right and wrong or good and bad behaviour

とされる。このように、英語で言うjusticeは日本語の正義と違って、善悪といったニュアンスはあまり含まれない。



つまり、道徳は「幸福や善悪、正不正とは何か」という広大な問題を扱うのに対し、正義は「公正とは何か」という狭い範囲の問題を扱うと言える (私は哲学や政治学は門外漢なので用法として間違っていたら是非ご指摘ください)。



カントとロールズの共通点は、「道徳の原理 (つまり善・あるいは幸福)は人によって異なると考えた」という点、そして一方で、「人間の自由を非常に重んじた」という点だ。人間はそれぞれ自らの善を自由に選ぶことができるのである。



カントは人間の自律性に多大なる敬意を払った。カントは人間が自らを自律的存在と捉えることにより、定言命法へと至ると考えた。人が善 (自分に合った幸福)を議論するのはそこからだ。曰く「他者の自由を侵害しない限り、人はみな自分に合った幸福を探すことができる」



ロールズは、人がそれぞれ自分の善を自由に選ぶことができるべきであり、そのためにはまず平等な権利を認めるべきであると考えた。



2人は「他者の自由を侵害しない」ことや「平等な権利を認める」ことを正義の原理に定めたが、「何が善 (幸福)か」という道徳の原理には踏み込まず、それは人それぞれの判断であると考えた。



こうすることによって、決着のつかない道徳の原理にとらわれることなく、正義の原理を打ち立てることができる。そして、人間が自分の善を自由に選ぶことができるようになる。



この点と対立する考えが、第八章で述べられるアリストテレスの正義論だ。アリストテレスは、正義の原理と道徳の原理を切り離すことはせずに、政治の在り方について論じている。



アリストテレスvsカント、ロールズ」という基本的な対立構造があることを踏まえ、アリストテレスの正義論について見てみたい。



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これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

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これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

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