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これからの「正義」の話をしよう その4

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〇第四章 雇われ助っ人…市場と倫理
正義をめぐる議論が白熱すると、必ず自由市場の話になる。自由市場は公平なのか。お金で買えないもの、買ってはならないものはあるのだろうか。もしあるとしたらそれは何であり、なぜ売買してはいけないのか。



自由市場の擁護論は大きく2つの視点がある。一つは自由の重視に基づくもの、もう一つは福祉の重視に基づくものだ。すなわち、自己所有の原理に基づき、経済活動もまた自由が尊重されるべきだという考えと、社会の経済的発展にとって最も望ましい市場の在り方が自由市場であるという考え方である。前者はリバタリアン的立場から、後者は功利主義的立場からそれぞれ自由市場を擁護していると言える。



サンデルは自由市場の在り方について、兵役と代理出産という全く異なる2つの問題に基づいて考える。



軍隊を必要とする国にとって、どのような方法で兵士を集めるかは重要な問題だ。その方法には、大きく「徴兵制」「自分が兵役に就く代わりに身代わりを雇って良いとする条件付きの徴兵制」自由市場方式に基づく志願兵制」の3つがある。



リバタリアン的観点に立つならば、最も望ましいのは言うまでもなく志願兵制だ。また、兵役に志願する側と雇用側とが自発的取引を行うことによって、当事者双方が得をするのであれば、功利主義的観点からも志願兵制が最も望ましいと言える。



次に代理出産について考えてみよう。医療技術の発達により、ある女性が、別の女性の卵子で受精した子を、さらにまた別の女性の子宮で育て、出産後に自分の子として引き取ることが可能になった。つまり、養育者、卵子の提供者、子宮の提供者がすべて違うのである。



こうした事柄も、リバタリアン的観点からは当然批判されるべきでない。また、当事者同士が合意の上で行い、3名の女性がいずれも得をするならば、功利主義的観点からも肯定される。



しかしながら、こうした事柄には大きく次のような2種類の反論が生まれる。



1つ目は、金銭的に恵まれないなど、限られた選択肢しかない人間にとっては、自由市場はそれほど自由ではないということだ。つまり、兵役に志願する者や、母胎を提供する女性が、経済的な事情から仕方なくそのような役割を望んだのだとしたら、その選択は本人の自由に基づくものとは言えない。



自由市場は結果的に、引き受け手の少ないような負担の大きい役割を、経済的に恵まれない人々が「自発的に引き受けるよう強いる」ことになる危険性がある。実際、2004年のニューヨーク市の志願兵の70%が黒人かヒスパニックで、低所得者が多い地域の出身だった。



今挙げた反論は、自由市場擁護者の言う「自由の尊重」が、必ずしも自由市場によって達成されるとは限らないという指摘である。一方次に挙げる反論は、自由とは別の観点、すなわち道徳的な観点からの反論である。



しっかりと仕事さえしてくれれば、どこの誰が祖国を守っても構わないという人は少ないだろう。また、インド西部の町、アナンドのように、代理出産の需要の高まりに応じて、多くの女性が代理母を引き受け、代理出産を産業とするような町には、直感的に顔をしかめる人も多いであろう。



兵役はただの仕事でなく市民の義務である。兵役を商品扱いすることは、兵役の理念を支える市民の理念を腐敗させる危険性をはらんでいる。また、赤ん坊や女性の生殖能力を商業的に扱うことは、人間の尊厳を貶めはしないだろうか。



このように自由市場の有り方を突き詰めると、前章の結論と同様、単に自由を尊重するだけでは何かが不十分であることがわかる (サンデル自身はここまでは断言していないが)。お金で買えない、買ってはならない美徳は存在するのかという問題に直面するのである。

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これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

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傭兵の二千年史 (講談社現代新書)

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