これからの「正義」の話をしよう その3
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○第三章 私は私のものか…自由至上主義 (リバタリアニズム)
「他者の権利を侵害しない限り、各個人の自由を最大限尊重すべきだ」という立場をリバタリアニズム (libertarianism:自由至上主義)と呼ぶ。
彼らは、人間の自由は不可侵な自然権であると主張する。そのため、個人的な自由と経済的な自由とを最大限尊重することこそが正義なのである。
自由を何よりも尊ぶ彼らは、政府による「安全のためにヘルメット着用を義務づける法律」のようなパターナリズム、売春や同性愛の禁止といった道徳的観法律、所得や富の再分配を拒否する。
これらはいずれも自由という基本的権利が侵害されるため、不公正であるというのである (決して自由の侵害が経済にとって不利益だからという功利主義的考えに基づいているのではない)。
ロバート・ノージック(Robert Nozick)は、ある人が経済活動によって得た富が、市場での自由取引や他人からの贈り物によって築いたものであり (移転の公正)、その元手が合法的に入手されたものである (初期財産の公正)ならば、その人は自分の所有物に正当な権利があり、国家は合意なしにそれを取り上げることはできないと主張した。
彼らの思想は「人間は自分自身を所有しており、したがって自らの労働とその成果も所有している」という自己所有権の考えに由来する。そのため彼らは、どのような目的のためであれ、政府による富の再分配に反対する。例え公共の福祉のためであれ、強制的に働かせることは許されない。しかるに、どのような理由であれ強制的に所得の一部を徴収することは許されないというのが彼らの主張だ。
こうしたリバタリアニズムへの主な批判 (というか富の再分配反対論への批判)とその反論には以下のようなものがある(一部のみ抜粋)。
批判1:貧しい者ほどお金が必要なのだ。
反論1:貧しい者への自発的な慈善行為は当然行ってよい。しかし、お金をより必要としているからと言って、他者の所有物を強制的に使用する権利はない。
批判2:成功するためには必ず協力者が必要である。全てが個人の成功に帰するわけではないため、自ら成功による富の独占は許されない。
反論2:もちろん、協力者は存在する。しかし協力者は協力の過程で、通常協力に見合う対価の支払いを得ているものである。
批判3:成功には生まれ持った才能も必要であり、そうした才能の獲得は本人の手柄ではない。したがって、獲得したと身がすべて本人に帰するべきではない。
反論3:そもそも個人の身体や能力、才能を所有するのは誰か。自己所有権を否定し、自らの能力はその個人ではなく共同体だとでも言うのか。
多くの人にとって、富の再分配否定論は非常に偏ったものであると感じられるかもしれない。しかし、最後の反論における「身体や能力、才能」は難しい部分である。反論の根拠となる自己所有権の考え方は、リバタリアニズムに批判的な人であっても、別の場面では自らの主張の根拠に用いることがあるからである。
経済的な自由放任主義に反対する人でさえ、ある場面では人が自分の身体をどうするかを決定する権利はその人自身にあると考える。例えば、性と生殖に関する女性の自由が主張されるその根拠は、まさに「自分の身体をどうするかを決定する権利」が自らにあるというという考えである。
この延長で考えた時、「自分の身体をどうするかを決定する権利」はどこまで許されるのだろうか。自らの臓器の販売、末期がん患者の自殺幇助、果ては同意に基づいた成人間の食人 (2001年に実際にあった事件らしい…日本でも部分を食べるなら最近イベントがあった)などは全て、自己所有権が常に尊重されるならば容認されるべきである。
しかしながら、リバタリアニズムの主張をすべて受け入れるならば、貧しい者を救済するために、税金を徴収することも、同意の上とはいえ食人を行った者を罰することもできないのである。
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