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存在脅威管理理論への誘い:人は死の運命にいかに立ち向かうのか

とてもタイムリーで面白い心理学の本に出会った。本書で紹介されているのは、存在脅威管理理論 (Terror Management Theory)といい、現在、日本や諸外国で起きている保守的な空気への説明可能性を持つ理論である。



911東日本大震災などの災禍は、人々の生活における安心感を根底から覆した。こうした出来事は、我々の生きる文明化された世界が、実は非常に脆いものであり、我々も結局は死すべき定めの存在であることを思い知らせるものである。



911以降のアメリカや、震災以降の日本では、明らかに保守的な空気が蔓延した。アメリカでは、イスラム系の人々へのヘイトクライムが15倍以上になり、この流れは2008年まで続いた。わが国でも現在、長引く不況と相まって、近隣の国々を非難する言説は確実に増えている。



一方で、内閣府の調査によれば、東日本大震災前と比べて社会における結びつきが「前よりも大切だと思うようになった」と答えた者の割合は79.6%にも上った。



こうした外国への否定的な反応や、身近な人々のつながりの強化などは、災害や社会情勢がもたらす不安に対する、対処という側面を持っている。



我々の命は、何かちょっとでも不運が重なれば簡単に失われる。平時意識されないこの事実が不意に浮上し、自らの生命が脅かされるという不安を体験する時、人間はこのような形で不安から身を守るのである。



本書で解説されている存在脅威管理理論 (Terror Management Theory)とは、このような人間の持つ死の不安に対する対処メカニズムを説明するものである。



◆避けがたい死の不安と存在脅威管理理論
人間は他の動物と違い、いつか自分が必ず死ぬことを知っている。そのことは、我々に根源的な不安をもたらすものである。これは、高度な文明を築き上げるほどまでに、自己意識や推論力などの認知発達を発達させた人間の宿命だ。



このような、死の不可避性の認識から生まれる恐怖を「存在論的恐怖」と呼ぶ。しかしながら我々は、そのような恐怖を四六時中感じている訳ではない。そうなったら、我々の精神はあっという間に摩耗し、衰弱してしまうだろう。



ではなぜ、我々はこうした不安を常に感じるようなことなく過ごせるのだろうか。存在脅威管理理論によれば、我々にはこの存在論的恐怖に対する対処のメカニズムが備わっているためであるという。



そのメカニズムのカギとなるのが、文化的世界観と自尊感情から成る「文化的不安緩衝装置」である。難しい言葉だが、自尊感情と文化的世界観とを噛み砕くなら「自分を大事にする気持ち」や「所属する文化における価値観・信念への同一化」のことであると言える。



例えば、「自分はすごい (自尊感情)」と思ったり、「日本ってやっぱり素晴らしい国だ (文化的世界観)」と思うことは、少なからず心を安定させる機能を持つ。こうした機能が、存在論的恐怖に対して対処的にはたらくのである。



◆存在脅威管理理論における2つの仮説
存在脅威管理理論は以下の2つの仮説を有する。1つは、文化的不安緩衝装置が強化されている時、人は存在論的恐怖を感じにくく、逆にそれらが弱体化している時には存在論的恐怖を強く感じるというCAB仮説 (Cultural Anxiety-Buffer hypothesis)である。



もう1つは、存在論的恐怖が顕現化すると、人は文化的不安緩衝装置の機能をより強く求めるというMS仮説 (Mortality Salience hypothesis)である。



何やらややこしいが、要するに「自分を大事にする気持ち」や「所属する文化における価値観・信念への同一化」が強く働いていると、死の恐怖は感じにくくなる (CAB仮説)。



そして逆に、死の恐怖が高い状況では、人は「自分を大事にする気持ち」や「所属する文化における価値観・信念への同一化」を求めるようになる (MS仮説)のである。



例えば、自尊感情が高い状態だと、死の不安を喚起するような刺激 (実験では凄惨な事故の様子)に触れても、死の不安があまり高まらない (Greenberg et al. 1992)。これは、CAB仮説を支持するものである。



また、キリスト教徒を対象にした実験では、存在論的恐怖が喚起された状態の人々の方が、存在論的恐怖が喚起されていない状態の人々よりも、異教徒であるユダヤ教をネガティブに評価していた (Greenberg et al. 1990)。これは、外集団を排斥することによって、自分たちの文化的世界観を守ろうとしていると理解でき、MS仮説を支持するものと言える。



◆死の不安が人を保守的にする
存在脅威管理理論は様々な現象を説明しうるが、特に今の世相を大きく説明できるのが、後者のMS仮説である。



実験状況では、存在論的恐怖を喚起された人々が、そうでない人に比べ、失敗を他人のせいに死、成功を自分のせいにすることや (Mikulincer & Florian, 2002)、責任が不明確な自動車事故でアメリカ人運転手の判断ミスよりも、外国企業の製造責任をより追及する (Nelson et al., 1997; 本文あり)ことが報告されている。



つまり、我々は死の不安を感じると、それを和らげるために自らを過大に評価したり、逆に他者を非難・排斥したりする傾向が高まるということだ。これによって我々は、根源的な不安に対処ができるようになるとはいえ、一方で、集団間葛藤を増幅させたり、自律性や創造性を奪ったりする。



◆葛藤を避けるために
では、我々はこの死の不安、存在論的恐怖への対処がもたらす弊害にどのように対応すべきであろうか。本書では、いくつかの提案がなされているが、個人的に気になったのは、文化的世界観の希求を逆に上手く用いるという方法だ。



つまり、死の不安への対処として「所属する文化における価値観・信念への同一化」を求める際、同一化の対象に、望ましい価値観・信念 (例えば寛容や隣人愛)などを持ってくるという方法である。



もう一つの方法は、外集団と内集団の主観的な垣根を取り払うことだ。例えば、「所属する文化における価値観・信念への同一化」の際意識される「所属する文化」のレベルを「我が国」から「人類」にスケールアップすることで、外集団は外集団でなくなる。



世俗に生きる我々にとって、死の不安から解放されることは非常に困難である。そのため我々は、一時的な心の安定のため、知らず知らずの内に他者を責めることが、残念ながらあるのである。



もちろん、昨今の外交状況を鑑みれば、責められる側に非が全くないとは言えない。しかしながら、不安への対処に駆られ、必要以上に葛藤を増加させてしまっては、状況はますます悪くなるばかりであろう。



存在脅威管理理論は、こうした我々の無意識の振る舞いを自覚させるための、有用な枠組みであると言える。



本書は、存在脅威管理理論に関する様々な研究を紹介しつつ、身体性や関係性など、より突っ込んだ部分まで丁寧に解説がされた、わが国初の書籍である。



沢山の実験が紹介されているが、一つ一つわかりやすく解説されており、非常に読みやすい。久しぶりに、心理学の新たな理論を吸収する良い体験となった。

This Is Not Available 023650

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