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パラダイムとは何か:クーンの科学史革命

パラダイムとは何か クーンの科学史革命 (講談社学術文庫 1879)

パラダイムとは何か クーンの科学史革命 (講談社学術文庫 1879)

大学などでちょっとした精神分析を学ぶと大抵、補足のようにしてカール・ポパー (Karl Raimund Popper; 1902-1994)の反証主義が紹介される。



反証主義とは、「反証可能性を持つ仮説のみが科学的な仮説である」として、「厳しい反証テストを耐え抜いた仮説ほど信頼性が高い」とみなす立場である。



精神分析反証可能性を持たない。一見理論に反する事象も「理論の誤り」とはせず「深遠なる無意識による作用」に帰することができてしまうためである。ポパー精神分析は科学とは呼べないとして、たびたび批判を繰り返した。



ここで心理学の初学者は、「精神分析は科学ではない」という洗礼を受ける。しかしながら、ポパー反証主義自体批判も多い(だからといって精神分析を「科学」とみなしてよいという訳ではないが)。



パラダイム」という言葉の生みの親、トーマス・サミュエル・クーン(Thomas Samuel Kuhn; 1922-1996)も、反証主義に反する立場の一人である。





ガリレオコペルニクスニュートンケプラーらによる科学革命と、それに続く科学の発展は、「科学とは誤謬や困難を排して真理の獲得に至るための絶えることの無い歩みである」という進歩史観をもたらした。一言で言えばクーンは、この進歩史観を否定したのである。



きっかけは1947年、ハーバード大学でクーンは、17世紀力学の起源について講義するよう求められた。講義の準備のためにまず考察を巡らせたのは、地動説を含む科学革命によって完全に過去のものとなったアリストテレスの力学である。



アリストテレスは極めて優れた知性の持ち主であったが、力学についてはまるで誤った考えを持っていた。クーンはこの誤りを、現代人の視点から「単なる誤り」として片づけることはせず、なぜこのような誤りが生じたのかを考えた。



そしてクーンは、アリストテレスの運動理論が当時のギリシアにおける世界観に一致していたことに気づく。当時のギリシア的な世界観を土台にすれば、アリストテレスの運動理論は自然な発想だったのである。



つまり、ギリシアより続く天動説から、科学革命における地動説への変化は、単なる科学理論の変化ではなく世界観の変化なのである。そして、ここで変化した世界観こそがパラダイムである。クーンはパラダイムの視点から科学史を考察し、1962年『科学革命の構造』を世に送り出した。





パラダイムとは、具体的な研究の指針であるとともに知識を組織化する世界観的枠組といった意味を持つ。



クーンによれば、科学の歴史のほとんどは「通常科学」と呼ばれる時期にあたる。「通常科学」の時期における科学の課題とは、ほとんどパズル解きのようなものだ。例えば、一旦ニュートン力学が理論として成立してしまえば、あとはその理論、世界観の中で様々な現象を予測したり、説明したりするための研究が続くことになる。これが「通常科学」である。



もちろん、往々にしてパラダイムに反するような変則事例も発生する。例えば、天王星は当初、当時の予想とは一致しない軌道を描くことが明らかになっていた(なお、ポパー反証主義に徹するならば、この段階でニュートン力学を誤りとして棄却しなくてはならない)。



しかし、ガレによって海王星が発見されると、天王星の軌道のズレは、海王星との重力作用による摂動であることが判明する。海王星の影響を考慮すれば、天王星もやはり、見事にニュートン力学に整合する軌道を描いていたのだ。このように、殆どの変則事例は、パラダイムの内部で解決される。それどころか海王星発見の事例は、ニュートン力学パラダイムをより強固にした。



しかしながら時には、現在のパラダイムの内部では解決できない問題が発生する。「通常科学」に対する「異常科学」の時期の到来である。そして、「異常科学」の中でとうとうパラダイムの転換が起こると、科学は新たなパラダイムへと移行し、新たなパラダイムにおける「通常科学」の段階へと移行するのである。





クーンの主張は、大きな議論を呼び起こし、多くの批判にさらされることになる。誤解も含め、特に衝撃を与えた部分は、パラダイム転換の前後における新旧パラダイム間には通訳不可能性が存在するという主張である。パラダイム間で世界観が違うのだから、パラダイム間の優劣を測るような合理的な基準は存在しないというわけだ。



これは、科学の進歩史観への強烈な一撃である。パラダイム間の優劣を測る合理的な基準が存在しない以上、パラダイム転換によって科学が「進歩した」とは言うことができない。異なる文化同士を比較して、どちらの方が優れているかを客観的に決定することができないのと一緒だ。



一方、クーン側の落ち度に起因すると言わざるを得ない批判もある。クーンの主張の弁護者(!)マーガレット・マスターマンは、『科学革命の構造』内で「パラダイム」という言葉は21通りもの異なった意味で用いられてることを指摘する。クーン自身もこれはさすがに問題だと思ったようで、「パラダイム」という言葉を改め、意味を明確に規定しなおした上で「専門母型(なお、wikipediaでは専門図式)」という言葉に置き換えている。



しかし皮肉なことに、どちらの言葉がより知れ渡っているかといえば、「専門母系」よりも「パラダイム」の方であろう。パラダイム論は一定の理解をもって受け入れられ、科学の進歩史観は過去のものとなった。クーンは、「科学哲学」という学問において、まさにパラダイム転換を起こしたのである。

パラダイムとは何か クーンの科学史革命 (講談社学術文庫 1879)

パラダイムとは何か クーンの科学史革命 (講談社学術文庫 1879)

科学革命の構造

科学革命の構造