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社会的ジレンマのしくみ:「自分1人ぐらいの心理」の招くもの

全員が利己的に行動すると、結果的に全員が損をする。こうした現象は社会的ジレンマと呼ばれる。



Dawesによれば、社会的ジレンマとは、「一人一人の人間にとって協力か非協力かどちらかを選択できる状況」において、「一人一人の人間にとっては協力を選択するよりも非協力を選択する方が望ましい結果が得られる」が、「全員が自分にとって有利な非協力を選択した場合の結果は、全員が協力を選択した場合の結果よりも悪いものになる」という状況を指す。



囚人のジレンマに見られるように、万人の万人に対する闘争を事態を脱却するには相互信頼が必要である。しかし、純粋に他者を信頼するだけでは必ずそこに付け込むフリーライダーが生まれる。そしてフリーライダーの存在は、「自分だけが損をするのはばかばかしい」という人を非協力的にさせ、結局集団は低い質量限界で安定する。従って、フリーライダーを抑制するようなシステムが必要となるが、システムの維持にはコストがかかり、システム維持への協力には二次的な社会的ジレンマが生じる。



シミュレーションによれば、「協力的」かつ「非協力者の罰に協力的」な人が多いと安定した相互協力が生まれるという。しかしながら、信頼感の高い人は制裁制度など必要ないと考えるので、制裁制度の維持に消極的となる。一方で、信頼感の低い人は制裁制度がないと人は協力しないと考えるのので、制度維持に協力であるが、元々の協力傾向は低い。そのため、ある人が「協力的」かつ「非協力者の罰に協力的」であることは稀である。



この条件を突破する一つの可能性は、損得勘定を無視した「怒り」の感情であると考えられるが、感情は時に大変非合理的な結果を生む。そのため、感情と勘定の折り合いをつけることが必要になる訳である。しかしながら、そのためには公正な利益分配が必要となり、公正な利益分配の実現は非常に難しい。



そこで筆者が提案するのは、利己主義の徹底とそれを保障する安心の提供である。つまり、協力を選択することがもっとも望ましいと全員が認識しているのならば、各人が利己主義を突き詰めることによって望ましい状況は達成される。そして同時に、フリーライダーを抑制する安心を保障すること、この2つの条件が最低限必要であるというのが筆者の主張である。