重金属のはなし:鉄、水銀、レアメタル
- 作者: 渡邉泉
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2012/08/24
- メディア: 新書
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●極東ブログ 重金属のはなし - 鉄、水銀、レアメタル(渡邉泉)
我々は太古の昔より、様々な金属を用いて文明を発達させてきた。鉄やカルシウム、カリウム、ナトリウムなどはもちろん、銅や亜鉛、コバルトやクロムなど、多くの金属はヒトの生命維持にも必要不可欠な存在である。
しかし、水俣病やイタイイタイ病などの悲惨な例に見られるように、金属の過剰な摂取は生命にとって深刻な危機をもたらす。
本書は、生命と文明とにおける、金属の機能と害について、非常に多くの知識を詰め込んだ一冊である。
◆生命の進化と金属の利用
まず面白いのは、第二章「からだと重金属:必須性と毒性」である。
この章では、太古の昔に発生した生命が、金属をどのように取り入れながら進化してきたかを、非常に大きなスケールで描いている。
太古の海中、炭素や酸素などを原料にして生命が誕生できたのは、アルミニウムやケイ素などの金属元素が、生命生成における化学反応の触媒となったからではないかと考えられている。
また、約27億年前に生命が光合成を獲得すると、生命は猛毒の酸素を吐き出すようになり、地球はにわかに酸素で汚染された。
しかし生物は逆に、この酸素のエネルギーを利用する機能を獲得してこの汚染を生き延びた。
これによって生命は、単一の細胞にとどまらず、複数の細胞を維持できるだけのエネルギーを手にすることになったが、同時に猛毒の活性酸素種を抱え込むという厄介な問題が生じた。
ここで活性酸素の除去に用いられたのが、銅や亜鉛、マンガンなどを用いたスーパーオキシドジスムターゼという抗酸化酵素である。
その他にも、骨の形成によるカルシウムの蓄積など、進化の過程に沿って、生命が金属を利用した機能を獲得していく過程を一望する流れは大変圧巻である。
◆金属汚染による公害問題
本書のもう一つの特色は、我が国の公害問題について詳しく述べられている点だ。
大変恥ずかしい話だが、私は公害については、小学校で習う四大公害病を知っている程度で、土呂久砒素公害のことは、まるで知らなかった。
宮崎県高千穂町の土呂久では、1920年から1962年までの間、15年ほどの休山を挟んでヒ素の採掘がおこなわれていた。
当時、土呂久の人はすぐそれとわかるほど、地域住民の健康状態は悪く、村落の住人はなんと平均寿命が39歳であった。
鉱山へ土地を貸していた佐藤喜衛門の一家は、1930年からのわずか数年間で、ほとんどが死亡したという。
最初にこうした問題に取り組もうとしたのは、現地へ赴任してきた教師である。しかしながら、こうした教師の熱意に反発したのは、当の地域住民であった。
彼らは、雇用をもたらす資源である企業へたてつくことを恐れ、ことが知れ渡ることによって「嫁の来手がなくなる」「農作物が売れなくなる」といった“風評被害”を恐れたのだ。
さらに、問題が社会に知れ渡ってからも、各種の公害がたどった経過と同じように、救済の道のりは困難を極めた。
政府がようやく公害病を認定したのは、鉱山主である企業が、不採算を理由に休山をした1962年のさらに10年後、1972年のことである。
本書の後半では、その他にも、熊本県水俣湾沿岸における水俣病、富山県神通川流域のイタイイタイ病などについて、企業と政府、公害と戦った者、微妙な立ち位置の地域住民たちなど、当事者間の複雑な力動が描かれている。
◆
このように、多様な話題から構成される本書だが、読んでいて何より感じるのは、人類と生命とに対する著者の真摯な態度である。
「全宇宙を見渡しても約110種類しかない元素はそれぞれが貴重な材料候補であり、科学はこの範囲の中で発展するしかない (本文p.176より)」
いかに人体に対して有害な影響を及ぼすものであろうとも、文明発展のためには、これらの元素を用いていくより他ないのだ。
そうした現実を直視しながら著者は、人々の営みや生命の神秘を丁寧に語っていく。
自然科学系の本を読む際、理系的な思考、興味関心の背後にある、著者自身のこうした、宇宙や命への敬意、愛が垣間見える瞬間が、私は大好きである。
- 作者: 渡邉泉
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