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エビデンスにもとづくカウンセリング効果の研究

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エビデンスにもとづくカウンセリング効果の研究―クライアントにとって何が最も役に立つのか

エビデンスにもとづくカウンセリング効果の研究―クライアントにとって何が最も役に立つのか

エビデンスベイスド (Evidence Based)カウンセリングとは、言葉の通り、治療効果に関する実証的な根拠に基づくカウンセリング、心理療法の実践のことだ。本書はカウンセリングと心理療法エビデンスの膨大なレビューである。



効果の無い治療を延々と続けることは、時間的にも金銭的にもクライエントに不利益をもたらす。説明責任といった観点からも、治療効果が実証的に示されている方法を用いてクライエントを援助することが望ましい。



もちろん、実際の治療はケースバイケースであり、すべてが同じように進むわけではないのだが、かといって何の根拠もなしに治療を行うのも無責任だ。そのため、心理療法、カウンセリングの実践者は自らの実践の効果に関する知識が必須である。



本書では、心理療法、カウンセリングの効果に関する膨大な量の研究がまとめられている。研究の知見は、症状の種類や治療者の要因、クライエントの要因、治療関係の要因、技法・プラクティスなどによって分けられており、体系立った構成となっている。



しかも、単なる研究レビューではなく、実際の現場で起こることを踏まえた上での解説なども充実している。もちろん、日本とは価値観も事情も異なる国のエビデンスを、そのまま自らの実践にあてはめることはできないだろうが、考えさせられる部分は非常に多い。



私が初めて「エビデンスベイスド」という言葉に触れたのは、学部時代に某学会へ参加した折である。その学会企画の一つに、いくつかの流派の大御所の先生が、それぞれの立場から臨床について話すというとても素敵なシンポジウムがあった。



まだ知識も経験も浅い自分にとっては大変魅力的な企画で、前列の方でわくわくしながら参加したのだが、開始早々、某エビデンス重視系の先生が、あまりエビデンスを重視しない流派の先生方を露骨に、しかもかなり気分の悪くなるような口調で批判し始めた。



心理の世界を十分に知らなかった当時の自分は、臨床家が他の臨床家をこんなに悪く言うことに衝撃を受け (大学院へ行ってすぐに、そんなの日常茶飯事だとわかったのだが)、正直その先生にはいい印象は持たなかった。



そういうやりとりに見られるように、日本ではなぜかエビデンスをめぐる議論がそのまま、流派間の優劣の議論になることが多い。エビデンスという言葉自体が何となく敬遠されるのもそういう風潮が反映されていると思う (あと、「実証的」という発想自体日本人にはあんまり定着してない気もするが)。



もちろん、エビデンスは無いよりある方が良い。しかし本書にある通り、エビデンスがないということは、文字通り「証拠が存在しない」ことを意味するのであって、その治療技法に「効果がない」ということを示す訳ではない。



実際、各セラピーを比較した実験では、各セラピーの効力がほぼ同等であることが明らかになっているし (Watson et al., 2003; 本書から孫引き)、技法やモデルの違いが治療効果に寄与する割合は15%程度である (Asay & Lambert, 1999)という有名な主張も存在する。




エビデンスをむやみに自らの流派、技法を誇ったり慢心したりする材料にするのは間違っている。しかし、自分たちのやっていることがどのようなものなのかについては、やはり自覚しておく必要がある。



そういう意味で本書は大変良い本だ。ただ、時折訳が粗くなるのが大変惜しい。致命的な程ではないが、時には露骨に変な日本語などがあり、やや読みにくさを感じさせる。



とはいえ、日本ではまだこうした本は大変貴重なのは間違いない。臨床に携わる人は絶対に持っておいた方が良い本であると思う。

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エビデンスにもとづくカウンセリング効果の研究―クライアントにとって何が最も役に立つのか

エビデンスにもとづくカウンセリング効果の研究―クライアントにとって何が最も役に立つのか

心理療法の効果 (1969年)

心理療法の効果 (1969年)